
「この国に来て未来を築くなら、われわれの言語を学び、われわれの規則を尊重せよ」
9月20日、ローマの舞台で放たれたメローニ首相のこの言葉がヨーロッパ中に波紋を広げている。
イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、与党「イタリアの同胞」の青年組織の集会で新たな教育・移民法案を発表した。
内容は大きく2つ。
学校の1クラスあたりの外国人生徒数に法的な上限を設けること。
そして顔全体をおおうブルカやニカブの学校内での着用を禁止すること。
髪と首だけをおおうヒジャブは対象外としている。
メローニ首相はこう述べた。
「イタリアの教室で、イタリアの子どもたちが隅に追いやられた気分を味わってはならない」
さらに、イタリア語ができない生徒の保護者にも語学受講を義務づける案をあわせて盛り込んだ。
家庭ごとに言語習得と文化への適応を求めるという踏み込んだ姿勢。
ヨーロッパではすでにフランスやベルギーが2011年に、デンマークが2018年に公共の場での顔をおおう衣装の着用を法律で禁止している。
ポルトガルも先月から同様の法律を施行し、オーストリアは今月から学校内の規制対象を14歳以下に拡大した。
イタリアの今回の決断は、ヨーロッパ全体の潮流と完全に歩調を合わせたもの。
ヨーロッパが移民政策で払った「高すぎる代償」
イタリアの移民研究機関イドスの調査によると、直近11年間で外国籍の生徒が16%増えた一方、イタリア国籍の生徒は12.5%減少している。
2025学年度にはイタリア全体で外国籍の生徒が93万人、全生徒の11.6%に達した。
教室の風景が変わりつつあるのは、数字が如実に物語っている。
ただ、移民との文化衝突に苦しんでいるのはイタリアだけじゃない。
イギリスでは2024年7月、サウスポートで起きた少女刺殺事件をきっかけに、反移民の暴動が全土に広がった。
SNSで拡散されたデマが火をつけ、各地で警察との衝突が起き150人以上が逮捕される事態に。
スペインでは非正規移民50万人の正規化に着手し、行政の現場がパンク状態に陥っている。
フランスでは「同化」を求める共和主義的な統合政策そのものへの反発から、移民コミュニティの「分離主義」が生まれた。
どの国も、ばらばらの対症療法を繰り返した結果、問題をここまで深刻化させてしまった。
ヨーロッパの現実は先送りにしたツケがどれほど大きいかを教えてくれる。
日本はいま、まさに岐路に立っている
では日本はどうか。
出入国在留管理庁の発表によると、令和7年末の在留外国人数は412万5395人。
前年末比で35万6418人、9.5%の増加で、初めて400万人を超え過去最高を更新した。
特定技能の在留資格で暮らす人は39万人を超え、1年で10万人以上増えている。
2027年4月には技能実習制度が廃止され、新たに「育成就労制度」がスタートする。
高市早苗総理のもと、外国人政策は「共生」から「秩序」へとかじが切られつつある。
在留資格審査の厳格化、特定技能・育成就労の受け入れ上限の設定、帰化要件として10年以上の在留と日本社会への融和を求める方針。
これはイタリアのメローニ首相が打ち出した「わが国のルールを尊重せよ」という原則と根底では通じている。
わたしは、メローニ首相の言葉をそのまま日本に置き換えてもいいと思っている。
「郷に入れば郷に従え」
ごくあたりまえの原則を、もっと早い段階から世界に向けて明確に宣言しておくべきだと感じる。
いま日本では、ブルカやニカブを日常的に見かけることはまだ少ない。
でも在留外国人が400万人を超え、ムスリム人口は約35万人と推計されるなか、ヨーロッパが直面している課題は「いつかの話」ではなく「もうすぐの話」。
大分県では土葬墓地の建設計画が住民の反対で頓挫し、茨城県でも同様のケースが起きている。
文化のちがいが地域の暮らしに具体的な摩擦を生み始めている疑いのない事実だ。
学校の問題だって待ったなし。
文部科学省の調査では、公立学校で日本語指導が必要な児童生徒は約6万9000人にのぼる。
イタリアの11.6%という数字に比べれば日本はまだ低いけれど、だからこそいまのうちに手を打てる。
公的な場所への宗教の持ち込みも、真剣に議論すべき問題だ。
学校で特定の宗教だけに配慮をすれば、体育や調理実習といった授業で「平等」に教育することが難しくなる。
世界にはさまざまな宗教があるのに、1つだけ特別あつかいをするのは逆に不平等を生む。
避難所になる公民館のような場所に宗教のルールが持ち込まれたら、災害時の緊急対応にも支障が出かねない。
世界でもっとも自然災害が多いこの国だからこそ、公的空間の宗教的中立性は命にかかわる問題。
排外主義に走りたいわけじゃない。
ただ、日本の文化やルールを尊重したうえで共に暮らすという原則だけはゆずれない一線として守りたい。
日本語教育の義務化、日本の歴史や社会のしくみを学ぶ機会の確保。
イタリアが「いま」やろうとしていることを、日本は「いま」から始められる。
イギリスやスペインやフランスの混乱を、対岸の火事だと眺めている余裕はもうない。
ヨーロッパが何十年もかけて痛みとともに学んだ教訓がある。
その教訓を、痛みなく活かせるチャンスが、いまの日本にはまだ残されている。
逃してはならないこのタイミングを。


