
あなたのお子さんはショート動画を見始めたら止まらなくなっていませんか。
いや、お子さんだけじゃない。
あなた自身も、寝る前に 「ちょっとだけ」 とスマホを開いて気がつけば1時間。
そんな経験は誰しも、きっとあるはず。
いま、ネットで飛び交っている言葉がある。
「ドパガキ」
聞いたことがあるだろうか。
2024年末ごろからSNS上で急速に広まったこの造語は、 「ドーパミン中毒のガキ」 の略称。
ショート動画やSNS、ゲームなど刺激の強いコンテンツに浸りすぎて集中力が続かなくなった若い人たちを揶揄するネットスラングだ。
ドーパミンとは脳の 「報酬系」 に関わる神経伝達物質。
何か嬉しいことがあったとき、脳内でドバッと分泌される。
SNSで 「いいね」 がついたとき、おもしろい動画に出会えたとき。
脳はその快感をもっと欲しがる。
もっともっともっともっと。
もっともっとの繰り返しが習慣化した状態を指して、 「ドパガキ」 と呼ぶわけだ。
派生語も続々と生まれている。
年齢を問わずに使う「ドパ中」
依存状態を指す「ドパる」
刺激に慣れすぎた感覚を表す「ドパ舌」。
音楽の世界でも、Mrs. GREEN APPLEの 「ライラック」 に対して 「ドパガキ向けの音楽」 という批判がXで拡散されたり、
ヤバイTシャツ屋さんのアルバム収録曲 「アルゴリズムの犬」 の歌詞に 「ドパガキ」 が登場したりと、もはやサブカルチャーの共通言語になりつつある。
ドラマ『GTO』第6話が映し出した「倍速世代」のリアル
8月24日に放送されたドラマ『GTO』第6話(カンテレ・フジテレビ系)が、まさにこの 「ドパガキ」 問題を正面から描いていた。
1年B組きっての秀才・福田樹(柴崎楓雅)。
彼はネット動画の講義を倍速で視聴しながら勉強し、必要な情報だけを最短距離で取り込もうとする。
鬼塚英吉(反町隆史)が 「手袋って逆から言ってみて」 というおなじみの遊びを持ちかけても、 「知らない」「くだらない」 と一蹴。
タイパ至上主義の彼にとって、寄り道や雑談は時間の浪費でしかない。
でも、副担任の柏原実央(生見愛瑠)はこうつぶやく。
「もしかして、わたしたちの方が立ち止まって考えようとしないで、焦って結果ばかり欲しがってるだけなんじゃ」 と。
この台詞はドラマの世界だけの話ではない。
わたしたちの暮らしそのものをズバッと突いている。
結局、樹は一度クラスを離れるものの最後には1年B組に戻ってくる。
最短距離で辿り着けなくても遠回りしてもいい。
鬼塚が無言で伝えたメッセージは、効率を追い求める現代社会への静かな問いかけだった。
「ガキ」に責任を押しつけていいの? 仕掛けているのは大人たち
ここで立ち止まって考えたいことがある。
「ドパガキ」という言葉にはある危うさが潜んでいる。
この言葉、どうしても 「ハマってしまう側」 の自己責任を前提にしていないだろうか?
脳科学者の恩蔵絢子さんはこう語っている。
SNSには努力なしで 「意外な報酬」 が手に入る仕組みがあふれていると。
「いいね」 がもらえるかもらえないかわからない、その不確実性こそがドーパミン系を強く活性化させる。
しかも思春期の前頭葉はまだ発達途上。
衝動を抑える力が未熟な若い世代が、大人以上にその影響を受けやすいのは当然。
フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんもこの問題の本質を鋭く指摘していた。
「超巨大プラットフォーマーによる、ユーザーをドーパミン中毒にさせるためのアルゴリズム設計」 こそが根っこにあると。
ヨーロッパではイギリスやフランスを中心に、16歳以下のSNS利用を制限する動きが広がっている。
世界的に見れば、これは個人の意志力の問題ではなく社会構造の問題として議論されている。
スタンフォード大学の精神科医アンナ・レンブケさんの著書 『ドーパミン中毒』 も、この構造を 「快楽過剰の時代」 として警告している。
指先ひとつで無限の快楽にアクセスできる環境は大人がつくったものだ。
そこに子どもを放り込んでおいて、 「集中力がない」「すぐ飽きる」 と嘲笑するのはあまりにフェアじゃない。
さらに興味深い調査結果がある。
マイナビニュースが2026年6~7月に実施した調査によると、 「ショート動画を見始めると止まらない」 と答えた人の割合は、20代で18.0%、30代で22.0%に対し、40代は36.5%、50代はなんと39.6%。
「通知がなくてもスマホを開いてしまう」 と答えたのは、40代で50.0%、50代で50.9%と、若者を上回っている。
「ドパガキ」は子どもだけの話じゃない。
わたしたち大人こそ、立派な 「ドパ中」 ではないか!?
恩蔵さんが言っていた言葉が胸に刺さる。
脳が本当に変わるためには、成果の見えない時間に耐えることが必要だと。
「サイレント・ピリオド」 と呼ばれる、努力しても何も変わらないように見える沈黙の時期。
その時間を過ごせなくなることこそ本当にもったいない。
わたしはこう思う。
「ドパガキ」という言葉が流行るのは、多くの人がこの問題に気づいているからだろう。
自虐として使うならまだいい。
だが、子どもや若者に対してこのレッテルを貼って笑うだけなら、それは問題の矮小化に他ならない。
仕掛けているのは、巨大テック企業。
利用させているのはスマホを与えた大人。
そして大人たちも、通知のないスマホをつい開いてしまう当事者。
本当に必要なのは、 「ドパガキ」 と揶揄することではなく、この仕組みそのものに目を向けることだ。
ドラマ『GTO』の鬼塚が、倍速で生きる樹に見せたように。
立ち止まる時間、遠回りする余裕、くだらない雑談。
そういう 「無駄」 にこそ、人を人たらしめる豊かさがある。
スマホを置いて、ぼんやりする時間をつくりたい。
それがきっと、 「ドパガキ卒業」への最短の近道だろう。


