
道着の上から、20秒以上も噛み続けた。
その事実だけで、もう言葉を失う。
10月1日、愛知・名古屋アジア大会の柔道女子70キロ級準々決勝。21歳の前田凛選手と中国の唐婧選手の一戦で、信じがたい出来事が起きた。寝技の攻防のさなか、下になった唐婧選手が前田選手の左上腕にガブリと噛みついたのだ。
しかもこれは一瞬の出来事じゃない。審判が「待て」をかけるまで、約20秒以上。
道着とテーピング越しに、歯型がくっきり残るほどの力で。前田選手はその激痛に耐えながら、寝技をかけ続けていたという。
立ち上がった前田選手が審判に左腕を見せると、手首付近にはっきりと歯型が浮かんでいた。
国際映像のリプレーでもその瞬間は映し出され、解説を務めた五輪メダリストの中村美里さんも「すごい噛んでますね」と唖然。
「道着の上から噛んでいるなら、わざとに近いですね。思いきり噛まなければ、あんな形にならない」と言い切った。
審判は協議の末、唐婧選手に反則負けを宣告。
ところが本人は「なぜだ?」と困惑の表情を浮かべ、中国のコーチも「口に当たっただけ」というジェスチャー。しぶしぶ握手をして畳を降り、ミックスゾーンでの取材も「No」の一言で拒否。
その後の敗者復活戦にも出場せず、不戦敗で大会を去った。
「偶然、歯が触れただけ」という抗議は通用しない
唐婧選手が審判に訴えた内容が、のちに報じられている。
「歯に偶然、触れただけ」というものだった。
けれど、テーピングの上からくっきり歯型がつくほどの接触を「偶然」と呼べるだろうか。
女子日本代表の塚田真希監督は試合後、その舞台裏をこう語っている。
「テープを外したら、もう完全に歯型が付いちゃってて、あざのようになってしまっている状況だったんで」「本当に流血するんじゃないかっていうぐらいの感じだった」
6時間が経ってもアザは消えなかったという。
早川憲幸コーチはコーチ席から「反則、反則!見せとけ、見せとけ!」と叫び、トレーナーとともにすぐ「これ完全に噛んでますよ」とメッセージを送っていた。
現場にいた全員が、瞬時に異常を察知した蛮行。国際映像にもはっきり証拠が残っている。
台湾メディア「ET today」は「反論の余地などなかった」と断じ、「極めて異例のスキャンダルに国際社会からの衝撃と非難は広まった」と報じた。
韓国メディアも一斉に反応している。
「スポーツ朝鮮」は「アジア大会柔道史に残る大事件、試合ルールを無視した最悪の態度」と見出しを打ち、「SPOTV NEWS」は「柔道で噛みつくとはどういうことか?」と疑問を呈した。
驚くことに、中国国内のSNSでさえ「人を噛むのが過失だなんてあり得ない」「恥を知るべきだ」と冷ややかな声が上がっているという。
一方で中国メディアの一部は「非常に物議を醸す判定」「誤って噛んでしまった」と報じており、その温度差に首をかしげたくなる。
柔道は「礼に始まり礼に終わる」武道だということ
わたしがどうしても許せないのは、この行為が「柔道」の畳の上で起きたということ。
柔道は日本が世界に広めた武道。
技の強さだけでなく、相手への敬意、自己の規律、礼を重んじる精神がその根幹にある。試合の前には一礼し、試合の後にも一礼する。
勝っておごらず、負けて腐らず。そこにあるのは、ただのスポーツ競技ではなく、人としてのあり方そのもの。
噛みつくという行為は、その全てを踏みにじっている。
しかも唐婧選手は反則負けのあと、反省の色を見せるどころか抗議し、取材を拒否し敗者復活戦も棄権した。あの態度こそが、武道の精神から最もかけ離れたもの。
負けを受け入れ、相手を称える。それができてはじめて、畳に立つ資格がある。
前田選手は違った。
噛まれた痛みをこらえ動揺を押し殺し、その後の準決勝、決勝と勝ち上がり見事に金メダルを手にした。
カザフスタンのアザル・アスカト選手を合わせ技一本で下したその姿に柔道家としての矜持を見た。
歯を食いしばって畳に立ち続けた21歳の覚悟、それこそが武道の魂だと思う。
32年ぶりに日本で開催されているこのアジア大会。
愛知国際アリーナに詰めかけた観客の目の前で、柔道発祥の国の畳であんな蛮行が起きてしまったことは、ほんとうに残念でならない。
ただ、ひとつだけ救いがあるとすれば。世界中のメディアが声をそろえてこの行為を批判したこと。
韓国も、台湾も、そして中国の人々でさえ「恥ずべきことだ」と声を上げたこと。スポーツの公正さと武道の精神は、国境を越えてちゃんと共有されている。
わたしたち日本人がこれからも守り続けるべきもの、それは勝ち負けの向こう側にある礼節と敬意。
前田凛選手が畳の上で見せてくれた、その背中が全てを物語っている。

